小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと
小説が読まれない、小説が売れない。そんな話を耳にする昨今。けれど、よい小説には日常とは別の時空を立ち上げ、それを読む人の心をとらえる“何か”があることは、いつの時代も変わらない事実。SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。
第10回 松田青子さん 〔前編〕
まつだあおこ●1979年兵庫県生まれ。2013年『スタッキング可能』でデビュー。2019年『女が死ぬ』の表題作がシャーリィ・ジャクスン賞候補、2021年『おばちゃんたちのいるところ』がLAタイムズ主催のレイ・ブラッドベリ賞の候補に。他の著書に『持続可能な魂の利用』、翻訳書にジャッキー・フレミング『問題だらけの女性たち』など。
落語や歌舞伎の演目にもなっている昔話を下敷きに、そこに登場する女性像を、自身が納得のゆくかたちに描き直したユニークな幽霊譚にして、過去の物語へのジェンダー批評にもなっている『おばちゃんたちのいるところ』。 多くの人が理不尽に思っているのに、今なお日本社会に根強く残る「おじさん」的な視線と態度と価値観に異を唱え、自分たちの魂を守るため、同じ思いを持つ人々がゆるやかにつながってゆくさまを描いた『持続可能な魂の利用』。 デビュー作『スタッキング可能』以来、愛嬌と毒っ気の絶妙なバランスがもたらす笑いとともに、そこにあるにも関わらず、見えないことにされているものを、小説を通じて可視化してきた松田青子さん。 “ただ生活しているだけでも、変なこと、気になることはたくさん起こるじゃないですか。一見、別々に起きているように見えるけれど、自分が違和感を覚える何かと何かはどこかでつながっていたりするので、そこに通底するものを書けたらと思いますね”。 そう話す松田さんの最新作『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』に収録された11の短編は、ゆるいシスターフッド、そのつながりがもたらす希望が通底する短編集だ。 翻訳も小説も、きっとどこかにいるはずの誰かの声を受信するように訳し、書いていきたいと話す松田さんが、どのように作品を書いているのか。ジェンダーギャップに限らず日々のなかで感じる違和感、自作についての海外の反応、大きな影響を受けたという児童文学のことなどをうかがいながら、その作品の核にあるものを探った。 ==〔引用〕== 「社長ってちょっと天然ですよね?」 「なんで?」 「ほら、〈女性募集〉とか貼るじゃないですか。あれとか変ですよね、情報ゼロで、何も言っていないじゃないですか。電話した時、ちょっとビビりました」 桑原さんはへえ、と新しい生き物でも見るような顔で夜野を見た。 「本当にわからないの?」 「え?」 「あれは〈女性〉って言葉だけでもう充分な情報なのよ」 「え、どういうことですか?」 夜野はぽかーんと口を開け、桑原さんはさらに、へえ、という表情を深めた。 「はじめから正社員は募集していないし、給料も安いし、業務もたいしたことないですよ、ってちゃんとその中に含まれているの。だから社長もうれしかったんじゃない、柏葉さんみたいな大学生の女の子がはなからアルバイトのつもりで来てくれて」 「え、それみんなわかるんですか? なんでわかるんですか?」 夜野は目を見開いた。右手の上のダースの箱が傾(かたむ)き、半分くらい残っているチョコレートの粒が一斉にスライドした。 「どちらかというと、わからない人がいることに感動したわ、私」 桑原さんは言うと、夜野の全体をまじまじ見た。赤い色と一緒に。 「桑原さんの赤色」『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』より ==
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