「木綿のハンカチーフ」の中で旅立って行った彼にはモデルがいた――。今もカバーが相次ぐ名曲の誕生秘話を、作詞家松本隆さん(71)が明かした。作曲を手がけた筒美京平さんとの思い出も語ってくれた。
素晴らしかった宮本浩次のカバー
都会に出て変わっていく彼と、田舎に残った彼女との切ないやり取りを描いた「木綿のハンカチーフ」。
1970年代に太田裕美さんが歌って大ヒットを記録したが、最近もロックバンド・エレファントカシマシの宮本浩次さんや、俳優の橋本愛さんがカバーして話題となった。
「宮本浩次さんがカバーした『木綿のハンカチーフ』は素晴らしかったし、橋本愛さんが歌うバージョンも聴いたけれど、これも面白かった。オリジナルの太田裕美さんは明るくさわやかに歌うんだけど、これほど歌い手によっていろんな表現ができる曲はない。普遍的にみんなに愛されているんだと思う。歌い継がれるというのは、曲にとってとても幸せなことだよね」
Jポップの元祖だった「木綿のハンカチーフ」
そう話す松本さんが手がけたヒット曲の中で「木綿のハンカチーフ」は、作曲した筒美さんも納得の一曲だったという。
「話し合いの中で地方都市の歌を作ろうと。『東京育ちのきみは地方のことを知らないだろう』と言われたりもしたけれど、炭坑町になじみがある福岡県出身のレコード会社のディレクター(77)をモデルに書きました。コンビを組んだ筒美京平さんにとっても、僕にとっても、断層となる作品。旧歌謡曲から脱却し、その土俵自体を変えようと試みた、ある種の見えない戦争。結果、Jポップの元祖になったと思う」
旅立つの音階 京平さんは天才だよね
一緒に曲を作り上げる中で、筒美さんのすごさも感じたという。
「京平さんがすごいのは、歌い出しの♪恋人よ ぼくは旅立つ……の最後の『つ』の音階を上げるところ。普通の作曲家はそこまで飛躍しない。天才だと思う。あと、この詞に明るい曲をつくるのもすごい才能。普通ならもっとしっとりした曲にするはずだから」
松本さんは筒美さんと「スニーカーぶる~す」などでもコンビを組み、一時代を築いた。
「京平さんと出会ったとき、僕はどこの馬の骨かわからない存在だった。ただ、旧歌謡曲ではなくJポップというジャンルを作っていくためには、僕の詞が必要だった。そこに出会いの必然性があった。今も残っている曲は時代を超越していたのかもしれない。作詞した2100曲余りのうちの5分の1ぐらいは京平さんの曲で、最も多い。その次が、はっぴいえんどで一緒だった細野晴臣さんと大滝詠一さんの2人かな」(川本裕司)
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