「天使の誘惑」や「北酒場」をはじめ数多くのヒット曲を作詞し、「長崎ぶらぶら節」などの小説でも知られる作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名・中西礼三=なかにし・れいぞう)さんが23日、心筋梗塞(こうそく)のため死去した。82歳。葬儀は家族で営む。喪主は妻の中西由利子(なかにし・ゆりこ)さん。
中国黒竜江省(旧満州)牡丹江市生まれ。第二次世界大戦後、難民となって日本に引き揚げる。立教大在学中からシャンソンの訳詞を手がけ、1966年、作詞・作曲した「涙と雨にぬれて」がヒット、67年には「帰らざる海辺」「知りたくないの」「恋のフーガ」など一連の作品で日本レコード大賞作詞賞を受賞し、作詞家としての地歩を固めた。以来、68年に「天使の誘惑」、70年に「今日でお別れ」、82年に「北酒場」がそれぞれ日本レコード大賞を受賞。ほかに、「昭和おんなブルース」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」など約4000曲を手がけた。「アンネの日記」「カルメン」などのミュージカルや、オペラ「ワカヒメ」、オラトリオ「ヤマトタケル」といったクラシック作品にも携わった。
また、98年に自伝的小説「兄弟」を出版、直木賞候補となり、民謡を題材とした次作「長崎ぶらぶら節」で2000年に直木賞を受賞、映画化もされた。続いて、戦前、戦中の旧満州を舞台にした「赤い月」やNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」の原作となった「てるてる坊主の照子さん」を発表。人気小説家としても活躍し、17~20年、「サンデー毎日」にエッセー「夢よりもなお狂おしく」を連載した。21年から新たな連載を準備していたが、体調を崩し実現しなかった。
鎌倉芸術館芸術総監督や日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長も務めた。
「心のこり」「北酒場」を歌った歌手の細川たかしさんの話
なかにし礼先生の訃報を聞き、また一人昭和の偉人が亡くなってしまい残念でなりません。長い間、闘病されていたと聞いていたので今は天国でゆっくりとお休みくださいと祈るばかりです。
私のデビュー曲「心のこり」を作詞していただいたのが最初の出会いでした。「私バカよね おバカさんよね」の冒頭の歌詞があまりにインパクトが強く、よくキャンペーンなどで子供に「あっ、おバカさんが歩いてる」などと言われるほどでした。元々のタイトルは「私バカよね」でしたが、デビュー曲でこのタイトルは可哀そうだと先生が「心のこり」と付けてくれたんです。
その7年後、「北酒場」も先生の作品で私にとっての代表曲です。
先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りしております。
■なかにし礼さんが作詞した主な曲
(カッコ内は歌手、リリース年)
・「知りたくないの」(菅原洋一、1965年)
・「涙と雨にぬれて」(松平直樹、田代美代子、和田 弘とマヒナスターズ、66年)
・「帰らざる海辺」(石原裕次郎、67年)
・「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ、67年)
・「今日でお別れ」(菅原洋一、67年)
・「天使の誘惑」(黛ジュン、68年)
・「あなたならどうする」(いしだあゆみ、70年)
・「昭和おんなブルース」(青江三奈、70年)
・「石狩挽歌」(北原ミレイ、75年)
・「時には娼婦のように」(黒沢年男=現・年雄、78年)
・「北酒場」(細川たかし、82年)
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